高島市、午前中は昨日と同じような穏やかさで、午後からは多少曇りが強くなり、このあと雪?
雨?・・・かな。
今日は、1月11日で「鏡開き」・「蔵開き」行事が・・暦に書かれています。
高島市安曇川町の藤樹書院で、講書始め、鏡開きが厳かに行われたそうです。って、私は
通りがかったもので・・ちょっとその画像・・・。

「講書始め(鏡開き)」(1月11日)
藤樹先生の存命中からこの日に行われてきた行事。先生は「愛敬」の2字を揚げて門弟と供に
「孝経」を読みました。それをしのんで参詣者一同が拝誦します。(以上高島市HPより)

以下、関連した簡単な紹介です・・・。

藤樹書院跡
JR安曇川駅の南東約1.2㎞にある。近江聖人といわれた日本陽明学の祖、中江藤樹
(1608~48)の居跡・講堂跡で、国の史跡に指定されている。
この建物は、藤樹の自宅が狭くなったために彼が没する半年前の正保5年(1648)に、
門弟や村人たちの協力によって完成したものである。明治時代に、現在のように再建され
ている。内部には、藤樹直筆の「致良知」の書を始め、遺品・遺物が数多く展示されている。
敷地内には名前の由来にもなった藤樹遺愛の藤の老木がある。
中江藤樹は、生涯を通して師につくことがなく、ひたすら独学で、一貫して人間の道を探
求し続けた。37歳で陽明学に出会い、至良知に徹すれば心事一元になることを悟り日本
陽明学の始祖といわれた。彼の学統には、熊沢蕃山、渕岡山等がいる。また、大塩平八郎、
吉田松陰など異才もいる。

中江藤樹
未だ何も話さなくても、座に集まったものは自ら心ほのぼのと温められ、安らかな喜悦に
満たされた、と伝えられる中江与右衛門。屋敷のそばに藤の大樹があり、その下で学問を
教えたため、門弟たちから藤樹先生と仰がれました。
藤樹ははじめ朱子学に傾倒していましたが、道徳の形式にとらわれることなく、陽明学と出
会って心の本来のあり方を究めました。人の道は孝が根本。知行合一を尊び、「致良知」を
主張しました。良知すなわち良心を大切にし、門人には正直を説きました。
帰郷して間もない頃、生活のたすけに営んだ酒屋では、酒を買うものは勝手に量って自由
に金を置いていくようにしましたが、誰もごまかすものはいなかったといいます。また、村で
は盗人のために家に鍵をかけることもなく、金品を落としても必ず本人に戻ったと伝えられ
ています。
日本陽明学の祖。近江聖人とあがめられています。藤樹は在野にあり、村落教師を貫きました。
近郷のものを集めた私塾は藤樹書院として残ってすます。著書や遺品が残され、藤樹自身も近
くの玉林時に眠っています。
雨?・・・かな。
今日は、1月11日で「鏡開き」・「蔵開き」行事が・・暦に書かれています。
高島市安曇川町の藤樹書院で、講書始め、鏡開きが厳かに行われたそうです。って、私は
通りがかったもので・・ちょっとその画像・・・。
「講書始め(鏡開き)」(1月11日)
藤樹先生の存命中からこの日に行われてきた行事。先生は「愛敬」の2字を揚げて門弟と供に
「孝経」を読みました。それをしのんで参詣者一同が拝誦します。(以上高島市HPより)
以下、関連した簡単な紹介です・・・。
藤樹書院跡
JR安曇川駅の南東約1.2㎞にある。近江聖人といわれた日本陽明学の祖、中江藤樹
(1608~48)の居跡・講堂跡で、国の史跡に指定されている。
この建物は、藤樹の自宅が狭くなったために彼が没する半年前の正保5年(1648)に、
門弟や村人たちの協力によって完成したものである。明治時代に、現在のように再建され
ている。内部には、藤樹直筆の「致良知」の書を始め、遺品・遺物が数多く展示されている。
敷地内には名前の由来にもなった藤樹遺愛の藤の老木がある。
中江藤樹は、生涯を通して師につくことがなく、ひたすら独学で、一貫して人間の道を探
求し続けた。37歳で陽明学に出会い、至良知に徹すれば心事一元になることを悟り日本
陽明学の始祖といわれた。彼の学統には、熊沢蕃山、渕岡山等がいる。また、大塩平八郎、
吉田松陰など異才もいる。
中江藤樹
未だ何も話さなくても、座に集まったものは自ら心ほのぼのと温められ、安らかな喜悦に
満たされた、と伝えられる中江与右衛門。屋敷のそばに藤の大樹があり、その下で学問を
教えたため、門弟たちから藤樹先生と仰がれました。
藤樹ははじめ朱子学に傾倒していましたが、道徳の形式にとらわれることなく、陽明学と出
会って心の本来のあり方を究めました。人の道は孝が根本。知行合一を尊び、「致良知」を
主張しました。良知すなわち良心を大切にし、門人には正直を説きました。
帰郷して間もない頃、生活のたすけに営んだ酒屋では、酒を買うものは勝手に量って自由
に金を置いていくようにしましたが、誰もごまかすものはいなかったといいます。また、村で
は盗人のために家に鍵をかけることもなく、金品を落としても必ず本人に戻ったと伝えられ
ています。
日本陽明学の祖。近江聖人とあがめられています。藤樹は在野にあり、村落教師を貫きました。
近郷のものを集めた私塾は藤樹書院として残ってすます。著書や遺品が残され、藤樹自身も近
くの玉林時に眠っています。
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