まち中の・言葉・音・声

高島です

2009年01月28日 18:57

高島市北部の日中・・朝の目覚めの空を見ていたら、今日一日スカーーッツとした空になるかな?
っと思えたのですが、すぐに弱めの日差しで半日が過ぎ去り、午前中の空は真っ青ではなくなりま
した。
でもでも、正午近くからお日様の暖かさが倍増してきた様子・・・ポカポカ陽気が青い空と一緒に
なっていい調子です。
画像は、今日の朝の青空です。


新聞の片隅に、「街上をゆく私の心を一番打つのはやはり人間の声である」高村光太郎。がありまして、「人間が不用意に必要に応じて迸出させる声と言葉」こそ光太郎の詩語の源泉だった。
とそんなこと読みました。


人口の多い街並みのなかの公園とか街路などは人通りも途切れることもないイメージで、
その場では人の話し声、いろんな言葉が音になって聞こえてきそうです。
私自身は、一日にそれほど歩かないのと閑散とした田舎風景の中での歩行では、あまり
多くの人とすれ違うこともなく、その騒めいた人の声、言葉はあまり聞くことが出来ません。
夕方のスーパーでの買い物で売り場の通路を行き来するときぐらいでしょうか、人とのすれ
違いを実感するのが・・・。


ちなみに、私の住まいする自治会の規模は・・
 世帯数71、男性116人、女性116人の合計232人 仲良く男女同数なんですよ。


今朝の音の始まりは、新聞配達さんの車、そのエンジン音というより「バリバリ」とタイヤが
凍った雪の塊を踏み砕く音が最初かも、少しすると野鳥の賑やかなざわめきが始まります。
ほぼ同時に家の中でもドアの開閉の音、蛇口からの水の音、テレビの音声・・・その後、職
場での会話、電話の呼出し音・・気づかないけど、沢山の言葉の中で生活しています。

野外で人間の声を聞く時間は少ないのが普段ですが、朝の登校する小学生の一団がワイ
ワイガヤガヤの賑やかな声が唯一かもしれません。家族が車で出て行った後に聞こえる救
急車のサイレンは、いち早く家族の安全安否を思ってしまいます。それもまた、サイレン音で
すが不安な「声」になって聞こえてきます。

高村光太郎の、声と言葉が詩語の源泉だったと文章は結ばれていましたが、それに注目し
て源泉だと思いながら、周りに気に配っても、到底詩人には辿り着けない遠い私であり、昼
過ぎからの益々ポカポカで無風で青空の中、間もなくであろう春の陽気を体が覚えていて、
気分もフワフワ浮かれ気味の単純な源泉はどうしようもなく、私はただただ普段通りの午後
であり、その普段通りの・・一日が有り難く過ぎ去ります。