穏やかに「ありがとう」
高島市北部、昨日よりももっと快晴になり朝のスタートもスムーズでした。
その後も青空が一層濃くなり冬日より小春って思わせます。
ブログに書き込もうか一瞬迷ったんですが、これもまた日々の出来事でした
ので、明るい話題じゃないのですが、ブログ話題にしてしまいました。
大柄なおじさんが近所に住まいしています。私より10歳ほど年上の大先輩
で、強面で寡黙な人でしたが、いろいろ面白い話題もたくさん聞くことがで
きました。
おおよそ10年前に定年迎えられ我が地域に九州からご夫婦で引っ越しされ
てこられていて、日常は春先は山菜採りに、秋には近くの農家のお手伝い、
地域の行事にも積極的に参加されていました。
親しくお話させていただくようになったのは、2年ほど前からでした。お家
には奥さんと可愛い猫ちゃんが一匹。高島の自然を堪能しながらの日々を送
られていました。
昨年秋頃、救急車が来て京都の病院に入院されました。しばらく留守宅で今
年の正月に一時帰宅されていたのですが、お会いできませんでした。その後、
奥様にであった時には、しばらく入院です・・の会話があり・・そのまま先
日まで時間が経過。
先日、久しぶりに奥様とであいました。驚きのお話でした。
「どうですか?ご主人」
「連絡しなくって、すいません、3週間前に他界しまして 葬儀も無事おわ
りましたんですよ」
何も知らなかった私は、驚きの一瞬でした。でも、日常でも時々「しんどい
ねん」って言っておられたし・・そう言えばの心当たりも今から思えば・・。
奥様も、ご本人も承知の不治の病だったそうです。味気ない人間という部分
を、無常の風にふかれ朝の雫の一粒となって地上に落ちるように去られました。
奥様いわく、穏やかな最後でしたと。それと、最後の言葉に「ありがとう」
とゆっくりハッキリおっしゃったそうです。奥様も自然と「ありがとう」と、
言葉が返事となってすぐに出たそうで・・・その後、穏やかに息をひきとら
れたそうです。
葬儀は住まいの地域じゃなく他所で身内だけでひっそりとされたそうです。
黄泉の国へか天国へかは分かりませんが穏やかにこの世から旅立たれました。
春の桜も、夏の川辺も、秋の山々も、冬の寒さも・・「ええとこや!」と
いつも話されていました。
残される者にとっては寂しい「死」であり、人生の一番大きな悲しみですが、
誕生すればその最後のがこのような形です。分かっていながら普段は永久の
命があるような振る舞いでの生活です。
人とはうまく作られていて、毎日、「死」を思いながら生活なんて苦痛でし
かありませんので、忘れがちの方がいいのですが、時々、それに遭遇して、
人の儚さを思うときもあります。
拙い画像ばかりですが、今朝の琵琶湖と周辺の風景、おじさんへ届けばと
思いつつ・・・。
画像はすべて、本日の早朝です。