九里半街道起点
高島市・・朝から気温は10度程度でしたが肌寒い曇りの天候でしたが、お昼から少し
の青空が覗き気温も多少上昇して、春の序盤を思わせました。
以前も同様に紹介したのですが・・お昼休みに通りかかったので・・・再度紹介です。
九里半街道は、今津と小浜の距離が九里半(約38キロメー
トル)であることから名づけられたといわれ、室町時代の
史料には「九里半階道路」、「若狭道九里半」などと記さ
れています。
江戸時代には、近江側では「若狭海道」とか「大杉越」、
若狭側では「今津海道」などとも呼ばれました。
小浜に陸揚げされた日本海諸国の物産が、この道を使って
今津に運ばれ、湖上輸送により京・大阪へ持ち込まれました。
九里半街道は、ここから西へ辻川通りを抜けて天神の忠魂碑で
右折れ、弘川の阿志都神社行過天満宮の南端で、北上する北国
海道と分かれ、西に向かって下弘部・上弘部。藺生を通って上
ノ瀬橋を渡り、北生見・追分を経て保坂に達しました。
保坂からは朽木谷を経由して京都に向かう道を分け、水坂峠を
越えて、山中関所を抜け、大杉で若狭国に入り、街道唯一の
宿場である熊川に至り、小浜に向かっていました。
<起点案内板・・記載より>
生活する中で、ほとんど気に掛けない起点ですが、それでも「鯖街道」の名の通り・・
日本海との交流は今後もいろんな形で存在しそうです。
起点表記から、北(マキノ方向)を見ています。
起点表示から、南(大津方面)を見ています。
起点表示から、西(小浜方面)を見ています。
同じような画像ですが、北方向を見ています。
窓から見える南側の桜のつぼみは、小さく膨らんだように見えます。
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