四高桜
2009年04月09日
昭和16年4月6日、現金沢大学の前身である旧制第四高等学校のボート部員
11人が琵琶湖の大溝沖で遭難死した日です。
比良連峰から吹きすさぶ突風で、一瞬にして11名の若き命が奪われたのでした。
大津市の瀬田川で行われたインターハイで優勝し、そのご連続制覇を目指して合宿
その最後に、琵琶湖横断を試みたそうで、大津市から今津町までやって来て、その
後、大津へ帰る途中の湖畔だったと記録され、荒波の波濤でのみこまれた。
萩の浜沖での事故・・心悲しい慰霊祭も行われ、「琵琶湖周航の歌」「琵琶湖哀歌」が
そこで歌われ翌年には、四高桜と銘した石碑も建立、その横に桜・・四高桜が植えられ
たのです。
現在は、道路拡張で・・少し当時と様子も変わりましたが、受け継がれた「桜」が
咲いているよって、連絡もらいました。
昭和16年と言えば、太平洋戦争に突入せんとするその時、その時代の青春謳歌の
若者が山々の桜を湖上から眺めていたのかと想像すると、人の時代の変わり様は、
とてつもなく大きいようですが・・・桜咲く・・春はすべからくやって来ます。
画像は、四高桜現場ではありません、今津町の南のほうの湖岸から琵琶湖を眺めて
いる昼休みです。桜も見えて・・・ふと、方角は四高桜に心が行きました。


11人が琵琶湖の大溝沖で遭難死した日です。
比良連峰から吹きすさぶ突風で、一瞬にして11名の若き命が奪われたのでした。
大津市の瀬田川で行われたインターハイで優勝し、そのご連続制覇を目指して合宿
その最後に、琵琶湖横断を試みたそうで、大津市から今津町までやって来て、その
後、大津へ帰る途中の湖畔だったと記録され、荒波の波濤でのみこまれた。
萩の浜沖での事故・・心悲しい慰霊祭も行われ、「
そこで歌われ翌年には、四高桜と銘した石碑も建立、その横に桜・・四高桜が植えられ
たのです。
現在は、道路拡張で・・少し当時と様子も変わりましたが、受け継がれた「桜」が
咲いているよって、連絡もらいました。
昭和16年と言えば、太平洋戦争に突入せんとするその時、その時代の青春謳歌の
若者が山々の桜を湖上から眺めていたのかと想像すると、人の時代の変わり様は、
とてつもなく大きいようですが・・・桜咲く・・春はすべからくやって来ます。
画像は、四高桜現場ではありません、今津町の南のほうの湖岸から琵琶湖を眺めて
いる昼休みです。桜も見えて・・・ふと、方角は四高桜に心が行きました。
Posted by 高島です at 18:37│Comments(2)
この記事へのコメント
>高島観光大好き さんへ
ご指摘、ありがとうございます。あやふやな知識で書きまして
申し訳ございません。
今後とも、ご指導とコメント宜しくお願いします。
早々に、訂正させていただきます。
ご指摘、ありがとうございます。あやふやな知識で書きまして
申し訳ございません。
今後とも、ご指導とコメント宜しくお願いします。
早々に、訂正させていただきます。
Posted by 高島です
at 2009年04月18日 18:34

いつも最新のブログ楽しみに拝見してます。
四高桜の金沢大学の学生の死を悼むために
作られた歌は「琵琶湖周航の歌」ではなく「琵琶湖哀歌」です。
ちなみに「琵琶湖周航の歌」は旧制第3高等学校現京都大学の前身校のボート部(水上部)の寮歌です。
四高桜の金沢大学の学生の死を悼むために
作られた歌は「琵琶湖周航の歌」ではなく「琵琶湖哀歌」です。
ちなみに「琵琶湖周航の歌」は旧制第3高等学校現京都大学の前身校のボート部(水上部)の寮歌です。
Posted by 高島観光大好き at 2009年04月18日 16:49