九里半街道起点

2008年03月24日

高島市・・朝から気温は10度程度でしたが肌寒い曇りの天候でしたが、お昼から少し
の青空が覗き気温も多少上昇して、春の序盤を思わせました。

以前も同様に紹介したのですが・・お昼休みに通りかかったので・・・再度紹介です。

九里半街道は、今津と小浜の距離が九里半(約38キロメー
トル)であることから名づけられたといわれ、室町時代の
史料には「九里半階道路」、「若狭道九里半」などと記さ
れています。
九里半街道起点

江戸時代には、近江側では「若狭海道」とか「大杉越」、
若狭側では「今津海道」などとも呼ばれました。

小浜に陸揚げされた日本海諸国の物産が、この道を使って
今津に運ばれ、湖上輸送により京・大阪へ持ち込まれました。

九里半街道は、ここから西へ辻川通りを抜けて天神の忠魂碑で
右折れ、弘川の阿志都神社行過天満宮の南端で、北上する北国
海道と分かれ、西に向かって下弘部・上弘部。藺生を通って上
ノ瀬橋を渡り、北生見・追分を経て保坂に達しました。

保坂からは朽木谷を経由して京都に向かう道を分け、水坂峠を
越えて、山中関所を抜け、大杉で若狭国に入り、街道唯一の
宿場である熊川に至り、小浜に向かっていました。
   <起点案内板・・記載より>

九里半街道起点
生活する中で、ほとんど気に掛けない起点ですが、それでも「鯖街道」の名の通り・・
日本海との交流は今後もいろんな形で存在しそうです。

九里半街道起点
起点表記から、北(マキノ方向)を見ています。

九里半街道起点
起点表示から、南(大津方面)を見ています。

九里半街道起点
起点表示から、西(小浜方面)を見ています。

九里半街道起点
同じような画像ですが、北方向を見ています。

窓から見える南側の桜のつぼみは、小さく膨らんだように見えます。

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Posted by 高島です at 19:00│Comments(3)高島市
この記事へのコメント
>ねえさんへ
普段気がつきませんが、じっくり眺めると
歴史と絡んで・・・生活の要所としての道・街道・海道が
見えてきます。



> ぶる~さんへ
私も、うっすら覚えています。
画像の道は。国道でしたし、この道を通って若狭や敦賀へ
車の往来もひっきりなしでしたね。
Posted by 高島 at 2008年03月25日 16:58
はじめまして、以前からずっと拝見しています。
高島出身で今は別の地に住んでいるものです。

私は先日の記事にあった江若鉄道の記憶がかすかに残る最後の世代です。
祖父の自転車の前に乗せてもらっての夕方の散歩ならぬサイクリング。
終着が江若鉄道の駅舎で、駅の小さな売店でおまけつきのお菓子を買ってもらうのが楽しみでした。

そして今日の写真の辺りはまさに私のテリトリー。バス会社でしたでしょうか、看板の八角形(?)の建物懐かしいです。
北方向へ向かう道が161号線だった頃は、車が行き交い商店もあり賑やかでしたが、今はあの頃と表情が全くちがっています。
Posted by ぶる~ at 2008年03月24日 22:18
高島ってこういう通り多い気がするなあ~
ゆっくり歩いてみたいな~
Posted by ねえさんねえさん at 2008年03月24日 21:41
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